紙一重の積み重ね

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【十二国記 黄昏の岸 暁の天感想】自分の行為が自分への処遇を決める。

小野不由美さんの黄昏の岸 暁の天を読んだ感想です。

読んだ本


黄昏の岸 暁の天 十二国記 (新潮文庫)

感想

いやー、ものすごく面白かった!魔性の子の裏側は、こうなっていたのですね。 今作の主役は、間違いなく李斎でした。 彼女の泰麒を救いたいという強い思いと行動が、周りの国々と天すらも動かしていく様は、人間の強さを感じさせます。

戴は不運が続きますが、最終章を心待ちにしています。

以下、心に残った名言を抜粋します。 未読の方はご注意ください。

陽子と李斎の名言

「もしも天があるなら、それは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」

「だが、天が実在しないなら、天が人を救うことなどあるはずがない。天に人を救うことができるのであれば、必ず過ちを犯す」

「それは・・・どういう・・・」

「人は自らを救うしかない、ということなんだー李斎」

人間が生きる上での、ひとつの心理だと思います。 このセリフを見て、サミュエル・スマイルズの自助論、天は自ら助くる者を助くを思い出しました。

困難があると天に任せたくなることもありますが、自分を救うことができるのは自分しかいないんですね。

浩瀚の名言

「彼らの常日頃の言動をみれば、おそばに上げられるほど信用できる者には見えなかった。ゆえに路寝からは閉め出したのだし、それが間違いではなかったことを、図らずも自ら証明したということでございますね。」

「こちらこそお訊きします。報われれば道を守ることができるけれども、報われなければそれができない。ーそういう人間をいかにして信用しろと?」

「結局のところ、その人物の為人の問題でございますよ。そしてそれは、その者がいかに振る舞い、生きているかにかかっているのです。常にそれを問われている。必ず誰かが見ているのですから。そして信ずるに足るものであれば、喜んでその行為に報います。それは、李斎殿の例を見ればお分かりでしょう。」

「結局、そういうことでしょう。自分の行為が自分への処遇を決める。それに値するだけの言動を為すことができれば、私のような者でも助けて差し上げたいと思うし、場合によっては天すらも動く。周囲が報いてくれるかどうかは、本人次第です。それを自覚せず、不遇を恨んで主上を襲った。こういうのは、逆恨み、とこちらでは申すのですが」

「逆恨みのあげく、剣を持ち出すような者の意見に、耳を傾けるだけの理があろうはずがございません。ーこれもまた、本人の言動が報いるに値するかどうかを決する、という実例でございますね」

今作で私が一番大好きなキャラは、浩瀚です。慶王である陽子を逆恨みして部下が襲います。部下は処罰されますが、襲った側にも一理あるのではないかという陽子に、部下が罰せられた理由を陽子に説明しています。

これもまた、人間が生きる上での真理だと思います。

自分の行為が自分への処遇を決める。まさにそのとおりだと思います。人生には良い時もあれば、悪い時もあります。人は一人では生きていません。必ず誰かが見ています。どんな時であっても、素直に自分の境遇を受け入れて、言動や行動はぶれないようにしたいものです。

泰麒の名言

「そもそも自らの手で支えることのできるものを我と呼ぶのではないんでしょうか。ここで戴を支えることができなければ、そのために具体的に何一つできず、しないのであれば、僕たちは永遠に戴を我が国と呼ぶ資格を失います。」

「僕達は、戴の民です。求めて戴の民であろうとするならば、戴に対する責任と義務を負います。それを放棄するならば、僕らは戴を失ってしまう・・・」

国が荒れてしまった戴。自分たちの無力さを痛感してもなお、天に頼るのではなく、自分たちの手で戴を立て直そうと決心する泰麒のセリフです。

このセリフはそのまま、日本に住む私達にも当てはまります。 求めて日本の国民であろうとするなら、日本に対する責任と義務を負います。ちょうど今、選挙の時期ですので、国民の責任と義務を果たしたいと思います。

陽子と六太の名言

「…まず自分からなんだよな」

「うん?」

「まず自分がしっかり立てないと、人を助けることもできないんだな、と思って」

陽子が言うと、そうでもないぜ、と六太は窓に額を寄せる。

「人を助けることで、自分が立てるってこともあるからさ」

「そんなもんか?」

「意外にな」

旅立つ泰麒と李斎を見守る陽子と六太のセリフです。慶国において陽子の治世は始まったばかり。国は貧しく、まだまだ混乱に満ちている。戴の二人に十分な援助をすることができなかったと、身を切られる思いで見守る陽子に、延国の六太がフォローします。

自分に余裕がないと人に優しくできないと、私も思います。しかし、人を助けることで、自分が生かされるということも、きっとあるのだと思います。

おわりに

十二国記は全編を通して、生きることの難しさと、苦難へ立ち向かう人々の生き方を描いています。とても勇気づけられる作品です。

1991年に発行された魔性の子を皮切りに、11冊発行されています。

完結するのがとても楽しみな作品です。


魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)