©万引き家族より引用
はじめに
パルムドール賞受賞作品である、 是枝裕和監督の「万引き家族」を見ました。ほぼネタバレの感想を書いているため、視聴予定の方はご注意ください。また、記憶を頼りに書いているため詳細が誤っている可能性もあります。ご了承ください。
万引き家族とは
以下、公式サイトをご覧ください。 gaga.ne.jp
パルムドール賞とは?
パルムドールとはカンヌ国際映画祭における最高賞のことです。日本の映画としては、1997年の今村昌平監督の「うなぎ」以来 21年ぶりの受賞とのことです。他にも、1980年には黒澤明監督の「影武者」、1983年に同じく今村昌平監督の「楢山節考」が受賞しています。
カンヌ国際映画祭といえば世界三大映画祭の一つに数えられています。日本人監督の作品が世界に認められたことはとても素晴らしいことだと思います。
万引き家族を見た感想
とても複雑な映画でした。6人の家族が出てきますが、血は繋がっていないように見え、人間関係の整理が非常に難しい映画でした。家族の関係性も後半になるにつれて徐々に明らかになっていきます。
血がつながった虐待する実の親と、血が繋がっていないが愛があり、犯罪(万引き・窃盗)で生計を立てる仮の親という2つの親が出てきます。 最後はかりそめの家族が崩壊して、実の親子の元へ帰っていく子供を見るのはとても複雑な思いがしました。(何も問題は解決していないため)
愛情だけがあってもうまく生きていくことができない、とても儚く、切なく、とても優しい、そんな作品でした。
万引きもするが働いていた家族
タイトルが万引き家族となっているからには、年金と万引きだけで生計を立てている家族の話なのかと思っていました。しかし、リリー・フランキーさん演じる父親役の柴田治は、建設現場の日雇い雇用のような仕事をしており、 安藤サクラさん演じる母親役の柴田信代は、クリーニング屋で働いています。
特に信代は、中盤で時給が一番高い二人をクビにしなければならないというシーンがあります。時給が一番高いということは、仕事もできて勤続年数もそれなりに長い非正規雇用(パート?)だったのではないかと思います。松岡茉優さんが演じる柴田有紀が、なぜ風俗店で売春まがいの仕事をしていたのかはわかりません。しかし、客としてやってきた4番さんとのトークルームの中で、「私も自分を殴ったことがあるよ」というセリフから、実の両親とうまくいっていなかったのではないかと予想されます。
全ての元凶はお金がないからなのか
劇中で信代が、「正社員に憧れるなあ」という類のセリフを言うシーンがあります。また、祥太が万引きをする前には、いつも必ずおまじないをしています。決してやりたくてやっているわけではないように感じました。父親の治は、「自分には万引きしか教えることがなかった」と話しています。家族全員が食べていけるだけのお金を稼ぐことができれば、犯罪に手を染めることは無かったのかもしれません。
劇中の登場人物と犯罪まとめ
柴田一家の犯罪にばかり目が向きがちですが、初枝の夫や、ゆりと祥太の両親も決して褒められた行動はしていません。実の両親が非道徳的な行動をしているという闇が描かれています。
- 柴田治
- 祥太を誘拐
- ゆりを誘拐
- 信代の元夫を殺害?(正当防衛が成立している)
- 信代の元夫の死体遺棄
- 万引きを重ねる
- 柴田信代
- 信代の元夫を殺害?(正当防衛が成立している)
- 信代の元夫の死体遺棄
- 祖母初枝の死体遺棄
- 柴田亜紀
- 初枝に軟禁されていた被害者?
- 柴田祥太
- 治に誘拐されていた被害者
- 万引きを重ねる
- 柴田ゆり(じゅり)
- 治に誘拐されていた被害者
- 柴田初枝
- 腹違いの孫、亜紀を軟禁
- 初枝の夫
- 不倫
- じゅりの両親
- 児童虐待
- 祥太の両親
- 幼い祥太を車の残してパチンコ店へ
- パチンコ店の車から窃盗しようとした治が祥太を見つけて保護(誘拐)したものと思われる。
- 幼い祥太を車の残してパチンコ店へ
本当の家族に憧れ、自分たちの子供が欲しかったと思われる父親
マンションと思われる建設現場で、治が「祥太帰ったよー」と一人で 寸劇をするシーンがあります。 また、住んでいる家の隣の父親と子供がサッカーのリフティングで遊んでいるのを見て、自分もビニール袋でリフティングを始めるシーンがあります。劇中の合間合間に、父親と子供の関係に憧れているように見えるシーンが散りばめられています。
妻である信代がクリーニング屋を辞めた後に、二人で性交渉をする描写があります。(とても生々しい演技でした)その後、治が「できたろ?できたろ?」と嬉しそうに言うシーンがあります。これは、性行為が久々に(うまく)できたろ?という意味もあったのかもしれませんが、私には、これで子供ができたろ?というような意味も込められているのではないかと感じました。
後半の警察の事情聴取の中で、治と信代は本当の夫婦ではないことが明らかになります。また、治という名前も偽名であり、自分の本名である「祥太」という名前を、子供に名付けていたことも明らかになりました。自分の名前を子供に授けるというのは、父親として名付けたかったという思いの表れだと思います。
子供を産めば母親になれるとは限らない
物語の後半で、警察の事情聴取の中で、「子供達はあなたのことを何と呼んでいましたか?お母さん?ママ?」という問いかけに対して、涙を浮かべながら、髪をかき上げながら、「なんだろうね・・・。」「なんだろうね・・・?」と信代が2回つぶやくシーンがあります。 これがこの映画の全てを表していると感じました。言葉では表現できない関係。愛してる。でも家族ではない。この関係は一体何なのか?
子供を産めば母親になれるのか、子供を産んでいなくても一緒に住んで愛情を注げば母親になれるのか、家族という関係性は非常に曖昧で、難しいと感じました。
劇中の信代の態度を見ていると、治ほど「父親と呼ばれたい!」という願望は全面に出ていないように見えましたが、それでも、事情聴取中のセリフからは、家族になりたかった(少なくとも自分はそう思っていた)けれど、そこに至ることができなかった、私達の関係は何だったのだろうか、という無念の思いがひしひしと伝わってきました。
ゆり(じゅり)が本当の両親のもとに戻ってからも、両親は相変わらず虐待を続けており、「洋服を買ってあげるからこっちへおいで」と、今後も虐待が続くような描写がされているのがとても痛々しく、腹立たしかったです。
あと少し時間があれば家族になれたのかもしれない
治は劇中の早いタイミングで、祥太に対して「ゆりはお前の妹だ。妹だ」と言い続けています。また、一人称は「父ちゃん」でした。しかし、息子の祥太や娘のゆりからは、一度も「お父さん」とは呼んではもらえませんでした。
祥太と信代の会話の中で、祥太が照れくさそうに「そのうちね」 というセリフが出てくるため、もう少し時間が経てば、「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになったのではないかと思います。治と信代もそれを望んでいたように思います。ただ、祥太もゆりも、身代金などは要求していないものの、世間的に見れば他人の子供を誘拐しているのであり、いくら愛情を注いで一緒に住んでいるからといって、世間的には犯罪者という扱いになってしまうのがとてもやるせない所です。
信代と祖母の初枝の会話の中で、「子供は親を選べない。でも、たとえ血が繋がっていなかったとしても、(他人を)親として選べば絆は強くなるのではないか」という旨の信代のセリフがあります。本当にそう思っていたのでしょう。
性的な演技が際立っていた妹の亜紀
松岡由梨さん演じる亜紀は、信代の腹違いの妹です。風俗店で働いています。女子高生のコスプレをした女性をマジックミラー越しに男性が見るというお店で働いています。(これもまた生々しい演技でした)また源氏名が「さやか」という名前ですが、これは実の妹の名前です。風俗店で働いた後は、祖母の初枝から「何かあった?足が冷たい」と言われているあたり、望んで働いているわけではないように感じました。源氏名にあえて実の妹の名前を名乗るあたりが、実の妹への当てつけであり、自分の両親との間に何かしらの確執があったように思います。
風俗店で胸の谷間や、自慰行為を見せつけるシーンなど、性的なシーンが想像以上にたくさんあって驚きました。私はNHKの限界集落株式会社や、真田丸でしか松岡茉優さんの演技を見たことがなかったので、だいぶイメージが変わりました。
ちなみに、家族全員で海に出かけるシーンで、水着姿の亜紀の胸の谷間を見てドギマギする祥太に対して、「男はみんなおっぱいが好きなんだ」と熱弁する治のセリフがありますが、ここだけは治というよりリリーフランキーさんご本人の魂の叫びだったと思います(笑)
亜紀を軟禁していた祖母の初枝
祖母の初枝は一見穏やかなおばあちゃんのように見えますが、実は自分の夫に不倫をされており、 今でもその不倫相手(後妻)の子供たちの家に入り浸っています。本人は月命日だからと言っていましたが、ちゃっかり数万円のお金をもらっていたあたり、強かだと言えます。不倫相手の子供たちが裕福であり、捨てられた?初枝たちは貧乏暮らしという対比もあるのでしょう。
亜紀は外国(オーストラリア?)に行っていることになっていますが、不倫相手の孫である亜紀と「一緒に暮らそう」と誘い、結果的に軟禁していたことが明らかになりました。
本当の兄弟になっていた子供達
初めは祥太がゆりを疎ましく感じていたような描写がありましたが、一緒に暮らす期間が長くなるにつれてゆりが自然と「お兄ちゃん」と呼ぶようになったことがとても印象的でした。二人でセミを見るシーンなんて、どうみても兄妹です。駄菓子屋で、「妹に万引きさせるなよ」と釘を刺されてから、ゆりの万引きを止めるために自分がわざと捕まるという身を呈した行動が、万引き家族の崩壊を招きます。
万引き家族と決別する最後
信代は死体遺棄の罪を一人で背負い、治は一人暮らしを始めます。亜紀は 初枝の家に戻るシーンがあるものの、その後はわかりません。祥太は施設に入り、自分の本当の両親は「松戸の近辺にいるのではないか」という情報を得ます。
ゆりは信代から教わったお風呂の数え歌を歌いながら一人で遊んでおり、団地の壁の隙間をチラチラ隙間を見ている描写が印象的でした。初めて治と出会った時のことを思い出しているのか、また万引き家族に会えることを期待しているのか、いろいろ考えさせられるラストシーンでした。
スイミーの話は示唆的
最後に、祥太が国語の本で読んだというスイミーの話が気になったので調べてみました。
スイミーは小さな魚。ただ、兄弟がみんな赤い魚だったのに、スイミーだけは真っ黒な小魚だった。泳ぎも得意であり速かった。大きな海で暮らしていたスイミーと兄弟たちだったが、大きなマグロに兄弟を食べられてしまい、泳ぎが得意だったスイミーだけがなんとか助かる。 兄弟を失ったスイミーはさまざまな海の生き物たちに出会いながら放浪するうちに、岩の陰に隠れてマグロに怯えながら暮らす兄弟そっくりの赤い魚たちを見つける。スイミーは一緒に泳ごうと誘うのだが、マグロが怖いからと小魚たちは出てこない。 そこでスイミーは、マグロに食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚のふりをして泳ぐことを提案する。そしてスイミーは自分だけが黒い魚なので、自分が目になることを決意するのだった。かくして小魚たちはマグロを追い払い、岩陰に隠れることなく海をすいすい泳げるようになったのであった。
スイミーは万引き家族の1人1人、マグロは社会そのものを表しているような気がします。血が繋がっていなくたって、お金がなくたって、みんなで集まって大きな家族のふりをして生きていくことを考えていたのではないでしょうか。
おわりに
ということで今回は、万引き家族の感想を書きました。後味が良いラストではないため、見る人によっては賛否両論だろうなと思いますが、私は見てよかったです。 万人向けの映画ではありませんが、この記事がきっかけに興味を持っていただければ幸いです。